東日本大震災から早くも12年。当時は電車が止まったため会社に一泊を余儀なくされ、外部電源を喪失した福島第一原発が水素爆発した直後に、双葉町出身者と一緒に海外出張に行っていたぷくお。
震災を経験した方なら皆記憶している出来事だと思いますが、単なる震災だけでなく放射能汚染をもろに受けた福島県下は元凶の原発廃炉も含めてまだまだ復興道半ば。
福島県下の特定復興再生拠点区域(復興拠点)については6町村に設けられていて、昨年6~8月に葛尾村、大熊町、双葉町で避難解除。今年に入り浪江町、そして4月に富岡町がそれぞれ避難指示が解除され、残る飯舘村も5月1日に解除予定となるなど明るいニュースが出る一方、福島第1原発1号機の原子炉圧力容器を支える筒状の鉄筋コンクリート製土台が鉄筋剥き出しで耐震性が心配されるといった超不安なニュースも出ています。
そんな原発事故のお膝元で、復興が進む今の福島を国内外に発信するとともに、自転車を通して交流人口の拡大・振興を目的としたサイクルロードレースが4月15日・16日に双葉町を中心に行われています。
今日は一人ずつ走ってタイムを競うタイムトライアルと、地元の名所や災害を受けた小学校の遺構などを訪ねるサイクリングが行われていました。
いざ双葉町へ
ぷくおは、自転車友達がこのサイクリングに参加するというので、せっかくの機会だったので一緒に双葉町へ向かうことに。
朝5時に自宅を出発し、常磐自動車道で一路北へ向かいます。
考えてみれば、福島県の浜通りを訪ねるのは震災後にいわき市にある支店に行ったっきり。当時はいわき中央というインターが終点でしたが、2015年に全区間が開通しています。
そんな初めて通る高速道路は、原発近くになると路肩の放射線量をリアルタイムで表示する線量計が所々に置かれています。
最初に出てきたのは0.1マイクロシーベルトと、首都圏とほぼ変わらない数値でしたが、双葉町手前では2.1を超すなど、12年経ってもまだまだ続く放射能の被害を目の当たりにさせてくれます(高速道路は除染もしっかりしているでしょうし、通過時間も短いため、70km/hで帰宅困難地域が含まれる広野ICから南相馬ICの間、49.1Kmを走行した場合の被ばく量は自動車の場合0.28μSv程度。胸部X線集団検診の被ばく線量の210分の1程度と気にしなくてもいいレベル。もっとも用がなければあえて被爆しにくる必要はありませんが…)
最寄である常磐双葉ICで降りると、脇道入り口には「帰還困難区域のため立入不可」という看板とバリケードや、除染した残土等が詰められた黒い袋が集められた場所などが目につきます。
しばらく人の気配のない区域を走ったら、10分ほどで今回のサイクリングのスタート/ゴール地点である双葉駅に到着。
今回は自分は走らないため、9時半のスタートを見送ってしまうとゴールまで自由時間となります(笑)
伝承館
広域被害をもたらした東日本大震災ですが、やはり双葉町(とその周辺)といえば原発被害との複合災害が最大の特徴というわけで、双葉駅から海岸方向に向かった場所に建てられた「東日本大震災・原子力災害伝承館」に向かいます。
この伝承館は展示や語り部、研修、調査・研究を通じて、未曽有の複合災害について福島で何が起き、どう向き合ってきたかを伝え、防災・減災に向けた教訓を国内外や未来へつないでいくことを目的として作られたそうで、もともと田んぼで津波被害を受けた地区に2020年秋にオープンしたとのこと。
将来に語り継ぐべき施設なのに、なぜ再び同様の地震が起きたときに津波の被害を受けそうな場所に建てたのかは謎ですね(原発近郊の町で、放射能汚染の低い場所なら他にもありそうですし)。
そんな立地に若干の疑問を持ちましたが中に入ります。600円のチケットを購入するとスタッフの方がシアター上映が始まったばかりなのでどうぞ。と案内してくれます。
このシアターでは原発の建設から地震、津波、原発事故の発生と住民避難、復興や廃炉について、実際の映像やアニメーション、そして西田敏行さんのナレーションが交えて紹介されていて、当時のニュースで見た記憶が蘇ってきました。
その後は災害の始まり・原発事故直後の対応・復興への挑戦や原子力災害の影響などが、実際に収集された遺品や資料、写真などで紹介されています。
生まれてからずっと東京電力の電気を使っていた身としては、その東京電力の原発事故で起きた災害が申し訳ない気持ちになります(もちろん住んでいる千葉県内にも放射能汚染はありましたが、比較にならないほどの汚染が出ています)。
この伝承館は国が全額負担して建設されたのですが、原発事故の原因について、もともと地震研究が進んでいなかったときに建てられた原発で、以降研究が進んだ際に津波リスクが予見されること、しかしながら東電はそれを受け入れなかったことによる人災と紹介されていたのが目を引きました。
第一原発はもともと海抜30mほどの高台の土地を、原発をしっかりした岩盤に建てるために海抜数mまで掘り下げたと紹介されていたので、もうちょっと何とかならなかったのかなと思ってしまいます。
また、現在は常設展示を終えた場所に震災後の様々な写真が飾られていましたが、行方不明になっていた園児の子供と3日後に再開できた方や、不幸にも家族や友人を失った方などが多数紹介されていて、身につまされる思いでした。
福島第一原発の一部を見る!
じっくりと伝承館を見学した後は、隣に立つ双葉町産業交流センターに向かいます。
こちらは4階建ての建物で、中には東京電力をはじめとする各企業やレストラン、お土産屋が入っていますが、無料で屋上に登れます。
そして屋上からは、山々の間からちょっとだけ煙突を目にすることができるのです。この煙突は福島第一原発の排気塔なのだそう。
おそらくこれは事故にならなかった5・6号機の排気塔のようですが、それでも福島第一原発の施設が見える場所にいるんだなという思いを強くさせてくれます。
伝承館のシアターで、西田さんが廃炉まで長いことかかりそうといった話をされていましたが、本当に廃炉できるのか、何年かかるのか考えさせられますね。
ちなみに、福島第一原発では毎日7,000人弱もの方が働いているのだそう。伝承館でも労働環境の改善といったことが書かれていましたが、廃炉作業中の事故が起きないことを祈るばかりです。
お昼ご飯
しっかりと伝承館を見学した後はお昼ご飯。Googleマップで検索してみると、産業交流センター内のレストランで食べられる浪江焼きそばも美味しそうでしたが、その浪江町(北側の隣町)にも人柄が良くて美味しいと評判の「割烹 貴久(きく)」というレストランがあったので、そちらを目指します。
海岸側の道を通るのですが、元田んぼは殺風景な景色になっていて、低い雲が垂れ込めた灰色の空と相まって非常に物悲しい気持ちにさせられます。
10分ほどで貴久さんに到着。したのですが、残念ながら準備中(Googleマップでは営業中でしたが、そんなこともあるんですね)。
そのため、町中にある「海鮮和食処 くろさか」さんに向かうことに。
店内は半分以上席が埋まっていて活気があります。ランチメニューはどれも美味しそうでしたが、今回は「海鮮にじ色だし茶漬け」をお願いしてみることに。
海鮮丼としても美味しかったですし、出汁をかけて食べるのも味が少し変わって美味しかったですが、愛媛の鯛めしのような味変には至らなかったので、次回食べる機会があれば普通に海鮮丼にしてしまいそうです。
そうこうしているうちにサイクリングも終わりの時間が来たので、友人を迎えに再び双葉駅を目指しました。
冷たい雨の中走ってきたサイクリストをもてなすため、駅前では鱈を使用したハンバーガーやモツ煮が振る舞われていて、参加しなかったぷくおもいただくことができました。どちらも美味しくてごちそうさまでした。
2日目の今日は大熊町で振る舞いが行われていて、ピザや地元産のあんこうを使ったあんこう鍋が食べられるのだそう。本当は人生初のあんこう鍋を食べてみたかったのですが、小さな子供が待っているので一路千葉を目指します。
帰宅したら走行距離は520km。自宅からだと京都駅を越えて、大阪駅まで行ける距離でした。いわき市周辺と違って双葉町周辺は遠いですね…
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